私の香港ブログを読んだガイド役の彼が、ちょっと駆け足な感じだから、も少し詳しくお店の名前なんかも書いてあげるとわかりやすいんじゃない、と助言してくれた。いろいろ教えてくれたから、後ほど書き足したいと思う。
イヤ、ほんとにそうだと思う。私は、旅行記などの「報告ネタ」を書く時、かなりいい加減で雑になる。そこには私が、もともと旅行はいつも行き当たりバッタリ、詰めるのが苦手、ガイドブックも苦手、という背景があるんだけど、その他にも私には、旅においては体験したことよりも、感じたことの方が圧倒的に多く、そっちの方が重要という、立派な理由があったりするのだ。
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今回の香港旅行は、私にとって、とても感慨深い旅となった。
たぶん私は、非日常の中に入ると、普段の5倍くらい、感受性アンテナが伸びる。いつも何かを人一倍感じる方だけど、こういう時にはもっともっと、鋭くなる。メンバーは気づいてるかどうかわからないけど、それはちょっと、みんなが感じるようなこととは違っていて、何かど〜でもいいようなことに神経が行く。
例えばとても大雑把に言うと、私にとって、どこで、何を食べたか、どこに行ったか、というようなことは、たいして重要ではない。だからいつも、忘れてしまう。北海道では散々フレンチに行ったりしてるけど、どの店に行ったことがあったのか、なんてほとんど覚えてなくて、それは美味しかったか、センスが良かったか、雰囲気は抜群だったか、とか、五感に響くことしか受け止められない。そんな私を夫は承知しているらしい。でもそれは、決して興味がないからではなく、他人任せだからでもなく、ただただ、私の視点は他に向いている、ということなんだと思う。まあ、さすがに合宿なんかで、子どもたち大勢を引率して出かける時なんかは、念入りにプランを練るけど。
私は基本的に、ものすごくマイペースで自分勝手なオンナである。だから、人と合わせようとしない。でも、人付き合いは良い方である。生徒たちを教えていて、子どもの気持ちはすぐに察してヨイショできるし、今このヒトが何を考えているかはサッと判断できる。でも、それと、「自分のペースを崩してまでも人に合わせる」ということは違う。私はこういうところが、たぶんすごく頑固である。絶対に譲らないところだ。だから、自分のキャパを超えてまで、その場を乗り越えようとはしないし、合わせようとは思わない。この点が、私が人の下で働けない、という、絶体絶命的な社会性欠如な部分なんじゃないかと思う。今まで、バイトでさえ苦痛に感じていたから、これはもう直す余地がないと思われる。
私は今回の旅行で、とっても印象深いシーンが一つだけあった。
私はいつも違う土地へ行くと、そこの空気とか、匂いとか、例えば森の緑の濃さの色とか、青空や雲の様子とか、生えている木々の種類などにまず、心が奪われる。香港100万ドルの夜景も楽しみだったけれど、私がハッとしたのは、2日目の夕方に、ふと、通路を歩いていた時に目の前に広がった、海に映る、オレンジ色にキラキラと光輝く夕陽と、それを受けて照り輝く高層ビルであった。
それらは私に、全身で何かを語りかけているようだった。圧倒的な何かに打ちのめされ、私は言葉を失っていた。
ああ、私はいま、香港の街にやって来ているのだ。心の底から湧き上がる、何とも言えない想いがこみ上げてきて、私はしばらくそこを動きたくなくなった。前をズンズン歩いて行ってしまっている2人がいなかったら、きっとその場に何十分もとどまって見とれていただろう。私はゆっくり、2人の後を遅れて歩きながら、1人、泣いていた。別にセンチメンタルになっていたわけではない。そういうのは嫌いだ。そうではなくて、ただひたすら、自分の人生と、この景色とがグッと胸に迫ってきて、感動してしまっていたのである。
私はいま、こうして香港に来ている。どうしてここにいるのだろう。
あの時、あの二十歳の時、私は音楽の道を志し、そして色んな人と巡り合って、いま香港にいる彼とも出会い、そして何年もの月日が経ち、私は夫と出会って子どもを産んで、一度は乳がんを宣告されたものの、それが解除されたと思ったらまた昔の彼と偶然再会し、留学記を書くことになり、そして今こうして、この夕焼けを見ている。
これまでの人生が走馬灯のように私の脳裏を駆け巡り、この瞬間に繋がっていたことに大きく感動を覚えた。あの時の私に、どうして今、この夕陽が想像できただろう。私の香港旅行は、この瞬間で完結だった。人生って、素晴らしいと思えた。私はこの時を忘れない。ずっと、ずっとここで日が沈むまで立ち止まっていたかった。こんな気持ちになれるのは、いつもふとした瞬間である。海風が頬を伝い、心地よい夕方の湿気が私を包んで、いつまでも涙が止まらなかった。
それだけでもう、私の今回の旅行は大満足であったのだが、こんな抽象的なことを理解してくれる人が何人いるのか、共感してくれる人がどのくらいいるのかは、わからない。だけど、私がどうしても、ガイドブックが苦手な理由はここにある。旅行前に張り切って読もうとしても、いつも絶対と言っていいほど眠くなるのは、そこからは、空気も、匂いも、何も伝わってこないからである。美味しそうに撮れている写真だって、私には全然わからない。それよりはまだ、人が体験したブログを読んでみたりする方が、感触として伝わってくるものがある。
私は虚ジャッキーなので、万全な体調にしておかないと必ず人にメイワクをかけてしまう厄介なヤツなのだが、これも今回、手に取るように理由がわかった。私は、体力がないと言うよりも、マイペースが崩れる、ということによって大きくダメージを受けてしまうヤツなんだ。これは、衝撃的な発見であった。
そういえばいつも自分は、体調が崩れる時、そうだった。
レッスンは生徒たちに驚かれるほど、ぶっ続けで何時間やってもへっちゃらである。疲れない。そりゃあ、体調が悪い時はダメだけど、普段は平気である。なのに、新しい生徒がやって来ると、その子一人みただけで体力を使い切ってしまう。
午前中、レッスンがあっても何ともないのに、友達と女子会なんかが入っていると、もう午後のレッスンはダメである。集中力ゼロ。だからイレギュラーな予定は、休みの日に入れることにしていて、仕事のある日はそこに体調のダイヤルを合わせる。
旅行に行ってもそう。やたらとテンション高い時間と、低い時間が交互にある。だからその波に従って、うまくやらないと、身の破滅を招く。ちょっとムリしてまわりに合わせたくても、それをやっちゃうと更にいっそう迷惑をかけることになるのがわかっているから、セーブする。別に、場をしらけさせたくてそうしているワケではない。とにかく、私はひとえに体力がない、のではなくて、マイペースを貫くB型にはそれなりに訳があるのだ、ペースを崩されることが、何よりの弱点なのだ。ということがわかったのは、大きな収穫であった。そんなの前からわかってるよこのバカ。って、夫は思ってるだろうけど。
なんだか、書き出すともうキリがなくなってしまいそうなのでここらへんでやめるが、自分という人間と、ここまでの人生と、人間関係を振り返るのには、たまには家族と離れて旅してみるのも悪くない。
そして結婚生活の長続きの秘訣は、価値観と、ペースの一致と、互いに純粋に許し合うことができるか、という三拍子がそろうことである。それに加えて2人の間に流れる「絶対的な自信」があれば、なお良し。
今回、私を旅行に行かせてくれた夫は、最初っから私を許して、野放しにしてくれた。しかも、なんのムリもなしに。たぶん私も逆の立場だったらそうだったと思うし、人間の相性って面白いもんだな、無理したら続かないもんだよなァ。
なんて、しみじみと思った、45の初夏であった。
最後にみんなにお礼を言いたい。私を私らしく自由にさせてくれている夫と、疲れを押して尽くしてくれた香港の彼と、奔放な姉に付き合わされ、気苦労していたであろう妹に。そして、いい子でお手伝いをしながらお留守番してくれていた、娘なっちんに。
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